社会福祉法人楽寿会特別養護老人ホーム楽寿荘は、1981年(昭和56年)4月1日に事業を開始しました。いわき市で2番目の比較的早い時期にスタートを切りました。
特別養護老人ホーム楽寿荘は定員110名で、要介護度は徐々に高くなってきています。事業開始当時のまま多床室ですが、できるだけ一人ひとりに対応できるよう心がけています。
当初より通所介護事業所(デイサービス)、短期入所事業所(ショートステイ)などの提供を行っていましたが、2000年(平成12年)介護保険制度施行に合わせて居宅介護支援事業所(ケアマネージャー)、訪問介護事業所(ヘルパー)に加えて「よつくら訪問看護ステーション」を開設し、地域の医療機関との連携も重視しつつ、介護保険サービスのスムーズな提供に心がけております。
いわき市四倉町は、いわき市の北部・太平洋沿いにあり、人口約1万8千人でまとまりのある地域です(小学校4、中学校2、高校1)。その北側に久ノ浜・大久町があり、四倉と久ノ浜・大久を合わせた地域が「四倉・久ノ浜大久地域包括支援センター」の担当している範囲であり、同時にいわき市医師会四倉支部の範囲と重なっています。
設立当初より地域の連携に努めてまいりましたが、現在も「医師・介護支援専門員・訪問看護師・地域包括支援センターの合同研修会・懇親会」を開催するなど医療・福祉の連携がよい地域であると考えております。
楽寿荘として特徴的なことは、①楽寿荘で最期を迎える入所者の方が多いこと、②勤続年数の長い職員が多いこと、③事業を行う際の職員の団結力が高いこと、の三つがあります。
楽寿荘は、連携する医療法人泰成会木村医院からの距離も近いため、設立当初よりこまめに医療面の対応を行い、看護・介護職員と連携して「看取り」を行ってきました。1年間に亡くなられる20数名のうち、ほとんどの方が施設で亡くなられています。病院などでの死亡は年間0~2名となっています。「看取り」がすべてではなく、終の棲家としての役割を考え、その人らしい「最期の日々」を過ごしていただくことが大事であると考えております。
職員が長い期間勤めていることは、大変ありがたいことです。利用者の皆様にとって、なじみの職員がいてくれることは安心感につながると考えています。また、職員の団結力が高いことも、勤務の長い職員から若い職員までいろいろな立場で協力し合って取り組んでいることによると思っております。
2011年(平成23年)の東日本大震災では、地震・津波・原発事故により大変な危機にさらされました。私たちより北部にある特別養護老人ホームがいわき市中央部に避難せざるを得なくなるなど、私たちも入所者を連れて避難することも予想されました。しかし、職員の皆さんが食糧・水の調達、泊まり込んでの介護・看護など力を合わせて対応するのに加えて、地域の皆さん・全国の皆さんからご支援をいただき、一人の退所者も出さずに難局を乗り切ることができました。改めて皆様に心よりお礼申し上げます。
図らずも、私が職員には話していた「地域の福祉の砦」の役割を果たすことができたのですが、ノーベル賞を受賞した山中先生が話されたことと同じく、そのことは過去形になっています。私たちは「真の福祉の砦」を目指して、日々精進を続けていきたいと考えております。何卒よろしくお願い申し上げます。